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俺には高校2年の頃からの親友がいた。そのうちの一人とはここ数年、再び一緒に演奏している。

が、

その親友との友情が壊れかけている。

 

前に投稿した愛犬のことで。

 

某SNSでたびたび犬のことを報告し、溺愛ぶりを書いていたが、そのたびに

 

「うまそうな犬」

「俺が食ってやる」等の返事をしてくる。

 

おそらく彼は、今まで犬も猫も、鳥も金魚すらも飼ったことないんだろうと思う。生き物を見てかわいいなりなんなり、そんな気持ちは持てても飼い主の気持ちがまったく理解できないんだと思う。

 

逆に俺は7歳のころから家には犬がいなかった時間のほうが少ない。日本犬とシェパード系のミックス種、アフガン・ハウンド、シェットランド・シープドッグ、ダックスフント、今のチワワ、どれもが長生きした大事な家族だ。あいつにはそういう、犬や猫を家族と思うことが今までなかったんだろう。

 

単純に「家族を食うぞ」と言われることを想像してほしい。

 

どれだけむかつくか

親友であっても言っていいことと悪いことぐらいわからない歳でもないはずだ。

 

 

どこで犬猫をくってうまいと思ったか知らないが、少なくとも俺の育った環境ではご近所さんも含めて犬を食う文化はなかった。

彼は静岡市清水区の住人だが、そんなに犬を食痛けりゃ興津川の上流の山の奥にでも行けば野犬の一匹や二匹いるだろうからそこで捕まえるかなんかして隠れて食え。
少なくともうちの犬はあいつにに食われるためにウチにいるなんてことは断じてない。

 

犬を食うとか言う返事が一回だけなら冗談で済ませることもできたが、投稿するたびに書かれたんじゃ堪忍袋の緒も切れる。切れるというより堪忍袋の緒なんぞ引きちぎってやる。

 

それ以来、彼の言うことや行動の一つ一つを見る俺の目に以前のような寛容さが薄れ、まるで嫌いなやつを見るかのように見てしまう。

 

親友だったのに。

犬はこんな

めったにケージから出してもらえない、全然かわいがってもらってないんだそうでござる。

 

不憫。

 

それがしが溺愛してくれよう。

 

1480580007213

犬の名前キメて

さておのおの方

 

それがし、とうとう今の仕事を辞し、ついでに引っ越しすることを決意いたしもうしたのでござる。

 

で、犬も新たに迎えるのでござる。

 

ロングコートチワワ3歳♂

黒っぽい子でござる。

候補としては

「ロロ」

「ロコ」

「カルビ」

 

さて、どれがよかろう

 

かつてのバンド仲間の元カノさんで、自身も優秀なシンガーという友達がいる。

数年前、なかなかの病気をして治療のために行った病院でとある信仰と出会い、そこから事態が好転し、治療は成功したらしい。おめでたいことだ。友人としても一安心。

で、あたくし、今後そこそこの問題を抱える。

そんなあたくしには俺なりの信仰の仕方がある。
むかし離婚した時、近所の寺、由緒ある寺、神社、いろんな宗教的権威にすがり、怒り、屈辱感、喪失感の一刻も早い克服の手助けを願った。
飲み屋をやってた時、一日でも長く店を存続できるように願った。
まだ結婚生活をギリギリ維持してた頃、ぜんそくの発作がしょっちゅう出て、しまいにはうるさいと言われ、ぜんそく平癒を願ったこともあった。

結果、いまだに結婚してた頃の家で裏切られる夢を見て、起きると強烈に気分が悪くなるし、店は10年持たず、ぜんそくは当然治らない。

それでもいまだに生きてはいる。つまり、困難とか試練はあっても結果的に生きてられることこそ信仰の対象による加護であり、感謝すべきところなんだろう。

と思う。

となると、そもそも信仰とは幸運とか奇跡を期待するもんなんかじゃないという結論になる。それはそれでいいと思うし。

だから信仰に対する俺の考え方を否定したり余計な期待をさせようとする人はあくまでも「俺とは考え方が違う人」だ。

友人だからおれの今後の困難について話したら、案の定勧誘的なことになった。

彼女いわく、「現実は変わらないけど何かが良い方向に変わる」
「今までの考え方のままでいいけどちょっと変えてみたほうがいい」

その時点で奇跡と否定は受け入れないと話したが、彼女は奇跡を期待しろとは言ってないし、否定もしてないという。

俺の耳と脳みそでは「何言ってんのかわかってんの???」だ。

考え方を替えて奇跡を期待して、例えば幾分気が楽になっても現実は変わらない。

おそらく俺のためを思ってのことだから悪意はないんだろうが、矛盾しすぎた話には耳を貸せない。

長年の友達から距離を置こうと思った瞬間とはこういうものか。

ふ~~~ん

新年一発目

 

前述のの愚か者、っかっこいいこと言って、っ結局ちゃんとやってこなかった。

もう二度と一緒にやることはあるまい。

昨日の日勤終了後、バンド練習のために浜松へ。

今までやったことのない感じの曲を練習してまいったのでござる

バンド編成からざっと一か月

一人を除いて準備は万端でござった

問題はその弱冠一名。

てめえの準備不足を棚に上げてうまく行かぬとふて腐ってござる。

このヨガイ者、結局2時間の練習の半分をそうして過ごして

全員バンドのために努力をし、時間をかけ、楽しくやろうと集まってみたらまともにやってこなかった奴のつまらなそうな面を見る羽目になった訳でござる。

早速今日、
「おぬしにおいてはあの曲のソロはお役御免、後ろで目立たぬよう弾いておるよう申し付ける」
と処断いたし申した。

さておのおの方

今年のNHKの大河ドラマ、「花燃ゆ」。
おととしの大河でさんざん悪者として描いた長州へのお詫びと現総理大臣へのごますりのために作られているというではないか。

主人公とその周辺が必要以上に美化されるのはある意味ドラマの上でのことゆえ致し方あるまいが、事実をあまりにも捻じ曲げるのはいかがなものかと。

もともと新撰組と会津藩にシンパシーなそれがしにとって、長州人など現代の韓国人とさほど変わらぬ存在。

吉田松陰のもとお勉強と称して結果的にはテロリストを大量に製作したに過ぎない松下村塾しかり、京の街に放火をして天皇様を警護しに来るであろう会津公と藩兵と薩摩藩兵を殺害し、混乱に乗じて天皇様を長州へ拉致する計画しかり、それを防がんとした新選組に池田屋に集まる同志をほぼ全滅させられる事件での計画のとん挫を逆恨みして御所に向かって発砲したり町に火をつけた蛤御門の変しかり

池田屋事件のきっかけというその長州人の計画もドラマの中では「新選組のでっち上げ」という。
が、実際に古高俊太郎逮捕後、長州人が隠れ家を襲って武器を取り返しに行ってる事実もござる。テロの予定が無くば、余分な武器を取り返す必要などあるまい。そもそもその時点では長州人は京の街にいてはいけない存在だった。

で、その後、
御所と御所を守る兵に向けて発砲。

日本の歴史上、これ以上の謀反など存在しないのではないか?これに対しては美化できるポイントなどあろうはずが無いのでござる。

おのおの方、こりゃ騙されちゃいけない。